創価王道から斧節へ
2011-2-15 検索はまだ全然ダメだ
その意味で創価学会には「内外からの正当な批判」がなさすぎた。これが組織衰退の根本的な原因である。
斧さんのブログが「組織内部における葛藤や批判」をメインテーマになり始めたのはいつごろからだろうか?江東区から八王子に移ったころの幹部に対する失望からか。クリシュナムルティの記述が出たころか。
このテーマが出るようになり、今までの斧さんの瑞々しい信心が感じれなくなった。「批判は弱さの裏返しである。現実を変革できないから批判となるのだ。By 創価王道 」正直重い。期待しているのとは違う内容。創価王道とは別のイメージだ。
2009-3-5 アンベードカルを宣揚する 10
反応があまり芳(かんば)しくないので、これをもって最終回とする。「目が開かれました」「歴史が人物の虚像を描くことを知りました」――などといったメールが2000通ほど来ると思っていたのだが、1通も来なかった。ま、ネットの世界なんてそんなもんだろう。これ以降は別ブログで続けることにする。
またこんな記述も出始める。
2010-12-11 スピリチュアリズムの否定
一応私の手の内は全部さらしているつもりだ。読むべき人が読めばわかる仕掛けとなっている。
2008-8-28 色々な仕掛け
実は色々な仕掛けを施している。
2007-5-10 書くべきか、書かざるべきか
ブログの評価は、アクセス数とコメントに現れる。アクセス数は申し分ないのだが、コメントを見る限りでは、私の意図が半分も伝わってないような感を覚える。殆どのコメントに対し、「お前なんかに、何がわかるんだ?」「利(き)いた風な口を利くなよ」と思ってしまう。
はっきり言って、誰に向けて仕掛けているのか良くわからない。
そして、決定的な内容。創価王道から斧節に変わった。その影響を及ぼした「N氏の論文」って何なのか?
名前が変わって違和感はなくなったのだが。
2010-11-18 論文
N氏がその壁に手を掛けたのであれば、私は触発されざるを得ない。
結局、斧さんが何をしたいのか私にはわからない。私を対象としていないのは明確だから当然だ。
でもね、凡庸な私もこの「正当な批判」というテーマを避けて通れない。